ラップトップでユメ語ろう

ラブライブ!シリーズの話題を中心に自分語りや感じたことを書き留めていきます

誕生日の自分と向き合ってみよう。

お久しぶりです。

 

虹の彼方を垣間見てから実に84日間、三カ月ほどブログを更新していませんでした。

 

プライベートの方でかなり色々とありまして…はてなブログの方から「ブログ更新しろやゴルルァ」という催促のメールが届いたり、ラブライブ関連で様々な動きがあったのでずっとずっと更新はしたかったんですが、本当に忙しくて全く触れませんでした

…本当ですよ?三日坊主とかでは断じてありません(遠い目)

 

さて、そんな超久しぶりの更新ですが、実は今日2019年9月16日は僕の誕生日でして、そういうのもあって久々に書こうと思った次第であります。

 

”誕生日”というのは実に不思議なもので、小さな頃はとっても楽しみだったのに、ここ最近はとっても悲しくなってしまう一日です。

 

昔はなんとも言えない特別感というか、なんだか一日中ずっとキラキラしていて、そんな希望に満ちた一日が永遠に続くような気持ちになれました。

まあ、そのキラキラは次の日にはもう消えているんですが、でもこれがまた来年も来るんだ!と思うと意気揚々と次の一年へと新しい一歩を踏み出せたものです。

 

しかしどうでしょう。

いつからか”誕生日”が憂鬱になっていました。

いや、憂鬱では無いんですが…どこか残念というか。どことなーく哀しい気持ちになる日へと変貌していたのです。

 

その原因はいくつかあるんでしょうが、一番わかりやすいのは、自分の好きな作品のキャラクターの年齢を越してしまったと気が付いた時。

 

エヴァのシンジくん、ポケモンのタケシ、ハルヒに善子、千歌っちに穂乃果、けいおんのHTTの面々、そしてシャア…

 

こいつらこの年齢だったのか…と思うと同時になんだか「戻れない」ことに対する哀しみを感じてしまいます。

 

それが一体何に「戻る」のかは自分でも分からないのですが、「もう戻れないんだなぁ」と思うのが僕の誕生日です。

 

そのうち、エヴァミサトさんクレしんのひろし、宇宙兄弟の六太なんかを追い越して、気が付けば波平さんなんかと同年齢になっているのかなと思うとますます「戻れない」ことへの恐れや哀しみが深くなってしまいます。

 

人がどうやってフィクションを見つめるのか。それは見る人の数だけ解がある方程式のようなものなのだけど、僕の場合は「こんな風になりたい」と思ってしまう。端的に言えば「感情移入」っていうものなんだろうけども、それとは違うんじゃないかなと。

 

エヴァのシンジくんのように理不尽の中で生きる道を見出してみたい。

ポケモントレーナーになって誰もいない野原で相棒と一緒に冒険がしたい。

けいおんみたいに唯一無二の親友と音を奏でたい。

古典部みたいなインテリジェンスな部活で日常の中の非日常を生きたい。

脱出不能のデスゲームで停滞を打ち壊す英雄になりたい。

新海作品のような儚くて切ない距離のある恋をしたい。

スクールアイドルになって終わらない青春を謳歌したい。

 

挙げればキリがないが、こんな願望を、絶対に叶うはずのない願望を抱きながら、僕はいつもPCの電源を切ったり本を閉じたりしている。

 

そしてそのあとに「戻れない」と感じるのだ。

その戻れないにはきっと様々な意味がある。

自分が思っている以上に意味を持っているであろうこの感情。きっといつになってもついて回るんだろう。空しいかな。

 

それを少しでも和らげたい。「戻れない」から「戻らなくてもいい」にしたい。

心のどこかでそんな気持ちがある。きっと無視すると本当に「戻れなく」なるこの気持ちを後悔したくないから、この一年はそれに向き合ってきた。

その結果として84日間もこのブログを更新しない事態が起こったりしたのだけど、それはまた別の話。

 

きっと千歌の「輝きたい」に似ているこの気持ち・感情、ここ最近は節目節目でより一層感じるようになった。そして、今日のこの誕生日という一年の節目にまた大きく自分の心を揺れ動かしている。

 

「戻れない」誕生日を無駄にしたくないかな。

 

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誕生日に関して、もうひとつ。

僕が生まれたのは9月16日なのですが、正確に言えばその日の15時59分なんです。

 

いやー中途半端。

 

五カ月前に書いた自己紹介でも「自分は中途半端で~」なんてことを言ってますが、元を辿ればそこから来たんじゃないかと。

 

そう、僕はきっと中途半端マンなんですね。

『普通怪獣ちかちー』みたいに『中途半端マン』なんですよ。

 

そしてそんな自分に嫌気がさすのがこの誕生日なんです。

 

「戻れない」と同時に「劣化」を感じるのが”誕生日”の恒例となりつつあります。

 

中途半端な自分の一年を振り返り、「昔はこんなんじゃなかったんだけどな」「昔は宝の山だけど、今は消化不良のウンコの山じゃん」とまだ就職もしていない学生の身分で思ってしまう。

 

決して思っているつもりは無いけど、心のどこかでそんな自分をかっこいいとか思ってしまっている自分が居るのかな、なんて考えて。そしてその自分にも劣化を感じてしまい…

 

めちゃくちゃ意味のないことをしてるとは分かっているのだけど。

そしてその気持ちも解決せずに思うだけ。解決せずに終わってしまう。ないがしろにして引き出しにしまってしまう。

正に、THE 中途半端。

 

そんな「中途半端」から来るのが、「戻れない」なのかもしれない…今ふと思いました。

 

何事も解決せずに、後回し後回しにして。そしてそのツケが回ってきたらあの時に戻れれば、と中途半端な自分を憎みつつ、戻れないことを後悔する。

 

負の連鎖ここに極まれり。

 

はぁー、なんなんだろうか。

 

気づいたら気づいたですんごく心に来ますね。

 

59分生まれの男は果たしてどうしたらいいのか。

今答えを出しても結局忘れそうな気がするから、とまーた後回しにしようとする自分がいるし。かと言ってここで決めても確実にそんなの順守しないだろうし。

うーん、この。

 

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5分ほど考えました。

今は「戻る」話をしないで「進む」ことを考えようかなと思います。

 

思えばこの1年は「戻りたい」ことも多かったけど、それ以上に「戻らなくてもいいや」が多い1年だった気がします。

 

交友関係も、自分の進路も、趣味も…なんでもかんでも後悔は少ないです。

 

別次元の”彼ら”には到底及ばずとも、自分の年齢を鑑みれば人並みに楽しくて実りのある1年だったかな、と。

 

じゃあ、戻る必要は無い。進むしかないじゃないか(希望)

 

ここ数年だと幾分かマシだった前の一年。立ち止まって振り返って、それに気付けただけ完璧とは言わずとも中途半端ではなくなったと思います。

 

人並みな一年から、(勿論良い意味で)並外れた一年に。

 

なってください。いや、するのは自分か…

 

 

 

さて、自分語り満載なこのブログにまた僕の三か月分の自分語りが吐き出されてしまいました。まあ誰も見てないしいいか。

 

「中途半端」を脱却するためにもこのブログはこまめに更新していきたいと思います。書くネタも大量にありますしね。何から手を付けて言いのやら。

 

最後に。

昨年を振り返ると本当に良いことばっかりで楽しい1年間でした。

次の一年もそれが持続するように。もっと好転するように。つまらなくて中途半端な自分を変えられたらいいな、と思いながらまたひとつ年を取ることにします。